リグレッションとは
近視の戻り、とも呼ばれ、レーシックなどの視力矯正手術を受けて視力が回復した後、稀に術前の視力まで戻ってしまうことがあります。個人差がありますが、手術などで急激な変化が人体へ起こった時、元に戻そうとする力が働くのではないかと考えられています。術後、半年〜1年が経過した頃に現れる可能性があり、視力が完全に安定すると、発症しないと言われています。
くりっく365における「憲法」とは、ドイツ語の「Verfassung」又は「Konstitution」、英語やフランス語の「Constitution」に対する訳語である。
中国語としての「憲法」の最初期の用例は春秋時代(紀元前770年?紀元前476年)の左丘明が編纂したといわれる國語の晉語九:「賞善罰姦、國之憲法也」の一文である。
日経225にはこれに相当する概念がなく(cf:十七条憲法)。穂積陳重の『法窓夜話』によれば、明治6年(1873年)に、箕作麟祥がフランス語の「Constitution」に「憲法」なる訳語を当てたのが始まりという。当初は、「国法」、「国制」、「国体」、「朝綱」など、さまざまな訳語が使用されていたが、時代を経るにつれて「憲法」が定着してきた。上記のうち、「国制」という訳語は法史学において現在も用いられる。戦前の旧憲法下では、「国体」は神格化された天皇を中心とする日本(とその植民地)のあり方としての意味で使われていた。
CFDや統治の基本原理・原則を定める根本規範としての「憲法」は、国家が国家である限り明文化されているかどうかはともかく何らかの形で存在するものである。この意味での憲法は、古来から日本にも存在しており、飛鳥時代には大宝律令として明文化されている。
もともと、「独Verfassung」等の原語は、もののあり方とか状態とかを指す語であり、そこから転じて国家のあり方を示すようになった。つまり、もっとも基本的な意味は、国家のあり方という意味である。日本語の「憲法」には、「法」という概念が既にくみこまれているため、このような事実的なフェアファッスングの概念をともすれば捉えそこなうことがあるので、注意が必要である。法史学で「国制」の語を用いるのは、そのような事情を斟酌した結果であろう。なお、1995年改正前の刑法77条(内乱罪の規定)には「朝憲」、改正後の同条には「国の統治機構」という語が用いられている。1935年の大審院の五・一五事件判決では、朝憲紊乱とは、国家の政治的基本的組織を不法に破壊することであるとされている。
日本では「憲法(独Verfassungsrecht)」と呼ばれる科目であるが、ドイツでは通常「国法(独Staatsrecht)」と呼ばれる。国法とは、1.国家の基盤を規律する法規範、2.最高国家機関の構造と活動を規律する法規範、3.市民の国家に対する権利を規律する法規範を総称する概念である。日本の憲法学が、対象を、1.総論、2.統治機構、3.基本的人権の三つに分けて論じるのと趣を同じくしている。なお日本でも、一部で「国法学」の語を用いることがあるが、憲法学のなかで解釈法学的でない部分、あるいは比較憲法論のような内容に重きをおいていることが多い。
憲法の概念を整理したものでもっとも有名なものは、カール・シュミットの『憲法学』(Verfassungslehre)であろう。彼は、憲法の概念を、絶対的な意味、相対的な意味、実定的な意味などに区別した。絶対的意味とは、更に細かく、1.公共体の秩序そのもの、2.国家の政治体制、3.国家の統合のあり方、4.根本規範を区別することができる。1.〜3.は、上記の事実的な意味に相当する。特に、3.は、ルドルフ・スメントの統合理論に依拠した憲法概念であり、戦後の憲法学に大きな影響を与えた点で注意を要する。次に、相対的な意味とは、形式的な意味の憲法(後述)、すなわち、憲法と呼ばれる文書を指す。第三に、実定的意味の憲法とは、憲法制定権力により行われた政治的な根本決定を指す。憲法制定権力によりつくられた権力(憲法を改正する権力)は、この根本決定に反することはできない。つまり、このような根本的決定は、相対的憲法においては、改正禁止条項として現れるとされる。
英米保守思想においては、「憲法制定権力」というものは伝統的な「法の支配」を破壊し、国民の自由を侵害する恐れのある概念であるとして、排斥の対象となっている。
実質的意味と形式的意味
通常、憲法という概念により指されているのは、規範としての「憲法(Verfassungsrecht)」である(事実的な意味の憲法を指す場合には、「国制」「政治体制」などという語を用いるのが一般的である)。日本で普通に行われている分類は、憲法を実質的な意味と形式的な意味に区別するものであり、ドイツの通説を受け継いだものである。
実質的意味の憲法とは、内容により憲法かそうでないかを区別するものである。すなわち、国家の根本・基盤に関する法規範は、すべて実質的意味の憲法に含まれる。
形式的意味の憲法とは、形式的な標識によって憲法かそうでないかを区別するものである。すなわち、憲法という形式を与えられた文書(憲法典)を指す。形式的意味の憲法をもつのが成文憲法の国であり、これがないのが不文憲法の国である。
両者の憲法の意味は必ずしも重なるわけではない。例えば、議会法などは、国家の根本・基盤に関する法規範であるから実質的な意味では憲法に属するが、形式的な意味では、「憲法」という名を持っていないので、憲法ではない。連合王国は「憲法」と呼ばれる文書がないから、形式的な意味では憲法が存在しないが、実質的な意味では、議会法、大憲章(マグナ・カルタ)などの憲法が存在するのである。 形式的な意味の憲法に含まれるものの実質的な意味の憲法に含まれないものとしては、「出血前に麻酔させることなく動物を殺すこと」を禁止したスイス憲法旧25条の2がしばしば引用される。 実質的意味の憲法の概念がなぜ必要かということを説明するためには、憲法学の対象は何かということを考えてみればよい。憲法学とは国家を法的に認識する学問である。このとき、「憲法」という名前がついていないという理由で、例えば日本においてであれば皇室典範・皇室経済法・国会法・内閣法・地方自治法・裁判所法・国旗国歌法などを対象から外してしまったら、国家を法的に(少なくとも正確に)認識することはできなくなる。つまり、実質的意味の憲法とは、憲法学の対象を画する概念である。この結果、憲法の法源は、ひとり憲法典のみではないことになるのである。
成文憲法(成典憲法)
憲法が法文により記されているもの。諸外国の一般の憲法はこれにより規定される。
不文憲法(不成典憲法)
憲法が法文により記されていないものや一つの憲法典としてまとまっていないもの。
硬性憲法
憲法改正手続に通常の法改正以上に厳格な手続を要求する憲法。日本国憲法、ドイツ連邦共和国基本法がこれに属する。
軟性憲法
憲法改正が通常の法改正と同様の手続で行いうる憲法をいう。
制定の主体に着目して憲法を分類することもある。
欽定憲法
君主の名の下に制定された憲法(大日本帝国憲法など)。
民定憲法
国民主権に基づき、国民が直接統治するか、または国民の代表者を通じて、国民の名の下に制定された憲法(現在の日本国憲法が民定憲法か否かは争いがある)。
協約憲法
君主と市民が協働して制定する憲法。
条約憲法
連邦国家の憲法がその構成主体間の条約によって成立した場合のもの(ドイツ国憲法、アメリカ合衆国憲法など)。
法源論とは、法というものがどこから生じるか(法の渕源)、別言すれば「裁判官が裁判をするに当たって拠るべき準則」「権威的規準として裁判官を拘束する規範の存在形式」「裁判の権威的な正当化事由として用いられる規範の存在形式」いう意味である。法文化や時代の違いによって、法源は変わる。日本人は法源というとすぐに成文法、特に国家の制定法を思い浮かべるが、これは、日本が近代的な大陸法の法文化を享受しているからである。しかし、英米法系諸国においては、いまだに判例が主たる法源であると考えられているのである。また、歴史上は日本においても慣習法が主な位置を占め、成文法は補助的役割であった。鎌倉時代に成立した貞永式目(御成敗式目)はその例であって、武士社会の慣習法や先例を成文化したものである。